阿蘇・俵山 パラフィールド火の鳥

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火の鳥について

パラグライダー初飛行をした校長・山本賢一。スカイスポーツ歴はなんと40年。
風を知りつくす校長が、「天然の良港」と見極めた俵山に是非お越しください!

子供たちの”空を飛びたい”という夢を叶えるため、
一人でも多くの人に空の楽しみを知ってもらうために
60歳を過ぎても元気に飛んでいます。
校長・山本 賢一
ヨーロッパでは、アルピニストたちが登山の降下手段としてパラシュートで降下するようになったことがパラグライダーの起源と言われてます。その後開発が進みパラパントと呼ばれるようになりました。
しかし、同じ頃、まったくつながりのない日本でも新たなスカイスポーツが生まれ始めていました。

当時、山本賢一(通称ヤマケン)はハンググライダーやウルトラライトをはじめすでにスカイスポーツ歴10年のベテラン。雑誌に掲載されていた、車で牽引して飛ぶトーインググライダーを見てひらめき、「風の強い日に山(崖のような所)から飛び降りればもっと楽しいのでは?」と山から飛ぶことを思いつきました。
すぐさまトーインググライダーを手に入れ、自分でグライダーの紐を束ねるなど独自の改良を加え、ハンググライダーの要領で斜面を走り、1985年9月19日、見事飛行に成功。実験飛行場所は西原村の扇坂展望所でした。


ヤマケンは「これなら7才くらいから70歳まで飛べるファミリースポーツになる!」と確信。
当時はソフトウィングやソフトグライダーと呼んでいたのですが、ヤマケンがNHKの取材を受けた際に「これはパラシュートとグライダーをくっつけパラ・グライダー、パラグライダーというんだよ!」と命名しました。日本製が世界に出回りはじめ、ヨーロッパでパラパントと呼ばれていたのもパラグライダーに統一。現在では世界共通語になっています。

その後も実験飛行は繰り返され、阿蘇山、九重と40以上ものエリアをテストフライトしました。
そしてついに一年を通じ安定した風が吹く“天然の良港”俵山に落ち着いたのです。それが、パラフィールド火の鳥なのです。